青木文蔵限界オタクが舞台「魍魎の匣」をみた
みんなニコ生配信で「魍魎の匣」観よう!!!!!
(ここから前置きが長いので感想を気にしてくださってる方は本題まで飛ばしてください。あとガンガンにネタバレしています)
魍魎の匣がかのラブ・ドリーム・ハピネス事務所所属のケンチタチバナ氏主演で舞台化されると知ったとき、私は岩清水八幡宮に向かうべくケーブルカーに乗ってたんですが、正直岩清水八幡宮がどうでもよくなってしまった。(ちなみにその日に引いたおみくじは凶でろくな事かいてなかったから結んできた)
魍魎の匣は中学時代から大好き。そのうえハイローの影響で足を突っ込んだエグザイルの文学派橘ケンチが主演。二大コンテンツが突然殴りかかってきた。
見たい、見たいけどさんざんメディアミックスに痛い目に合わせれてきたから見たくない気持ちもあるしでも橘ケンチだしチケット戦争勝てる気がしないし、、、とぐるぐる悩みながらも、
結局電車の中でいそいそとネルケハに登録しまして、まあ無事当選いたしました、という所存です。
私が当てたのは平日夜の公演で席はそこそこ後ろ、いい感じに全体は見れるけど細かい表情はオペラグラス必須、といった感じ。んで、友人にエグザイルガチ勢なうえに魍魎が好きな奇特なオタクがいまして、その子が当ててくれたチケットで別日に一緒に行きまして。
つまり二回見させてもらいました。
エグザイルパワーがやっぱり強くて、その子のチケット前から二列目で、もう最高でした。ありがとう。ほんとうにありがとう。
本題
ニコ生の配信、観よう(二回目)
いやもうほんまによかったんです。魍魎の匣にはまって10年後に、こんないい形で生まれ変わるなんて誰が想像したんだと。魍魎の匣、としての出来もさることながら、舞台としてもとてもよかったんですね。
あの長い長い複雑な話を一体2時間強にどないして収めんねん……とマジで見に行く前ゴリゴリに不安だったんすけどもうね、心配ない。杞憂とはこのこと。ってレベル。
もう開始した瞬間から息飲んで全部持っていかれました。
「とりあえずこの素晴らしさ何とかして伝えん」と思ったので以下、ネタバレバンバンの感想を書きます。後タイトルにもあるとおりに青木文蔵限界オタクなので青木に関しては若干うるさいです。
あとあと、京極作品好きって言ってもんな長くないしめちゃくちゃ原作擦り切れるほど読んでるわけではないので、
「にわかが……」って不快に思ってもそこはゆるしてね。
まず大枠なんですが、脚本がしっかり組み立てられてた。魍魎の匣って時系列が複雑なので、どうやってまとめるんかな、って思っていましたが、舞台装置をとても上手に作ってその時系列を整理してました。
なおかつその舞台装置で二つの場面を無理なく一つの画面に収めることで、セリフだけでは理解が難しい情報を、観客が飲み込みやすく伝えている!
物語を理解して、必要なところをしっかりと選べないとかけない脚本ではないかな、と。(青木限界オタクとしては「聖域ならば、犯すまでだ!」が欲しかったですがそこはもう致し方ないです)
前述した舞台装置の使い方、それとプロジェクターも使用されているんですが、これがほんとうに上手に機能してます。
出だしは「聞こえましたか」の例の電車のシーンから始まるんですが、もうそれ見た瞬間に「うげええええ!!!そうきたかあああ!!!(五体投地)」となります。ほんとに良いからみんな見て。
あと「境界」の書かれ方がほんまに良い。二回見て「境界」の使われ方を再確認出来てめっちゃよかった。舞台上に、言われないとわかんないくらい自然に「境界」が作ってあるんですが、それも「すぐそこに境界はあるんだよ」て、いまさらながら、そういうことなのかなって感じている。
舞台だから、ということで、全体的にキャラクターのテンションは3割増しくらいにはなっています。キャラクターの感情の起伏とか、声の張り方とか。それについては原作通り、とはいかないんですが、いかんせん舞台は舞台の見せ方、作り方があると思うし、あの原作テンションのままで2時間舞台は相当に難しいと思うので、舞台として至極当然の変化なのかなと思います。
そこは割り切る。
で、何度も言うんですけど私は青木限界オタクでなんなら
「青木文蔵が三次元に現界してそれを生で見るわけじゃない…」
と考えすぎて、緊張した結果少しでも身だしなみを整えるのが礼儀じゃねえかと思って、錯乱した結果チョコラBBを観劇前に飲みました。
そんな青木オタクであとエグザイルに片足突っ込んでるので橘ケンチだって大好きなんですが、
今回の舞台のMVPは関口君と久保竣公です!!(異論は認める)
関口君の彼岸にいってしまいそうな危うさ久保竣公の「娘」を探し続ける、満たされない不安定さが舞台から伝わってきてんんんん百点満点!!!!
特に最後に匣に入ったあとの久保の心象描写は神がかっていたと思うのでほんとに見てほしい。「魍魎の匣だ!」って感じ。好きすぎる。
うまくまとまらないからキャラクターごとに感想を述べます。いやほんとに、キャラクターの掘り下げも結構きちんとされててほんとによかったっす。
中禅寺
見た目の美しさは最初から知ってた。「橘ケンチ生命力あふれてキラキラしすぎじゃない?大丈夫?」って思ったけど声のトーンとか「なんだか納得させられてしまいそうになる不思議なちから」を全身からほとばしらせていたと思います。
あと、これはキャスティング決まった時から期待してたんですが、中禅寺のマジカルステップ(反閇のことですけど)についてはさすがエグザイルというかもうキレッキレで「このまま一曲踊ります?」ってレベルでそこだけはどうしても笑いそうになります。
だってあれ完全にエグザイルやもん。
あと舞台の都合でたばこではなくてパイプをくわえています。それも最高です。
あ、橘ケンチ is very beautiful なあまり、くたくたの芥川龍之介感はあまりないですが、「この僕がいうのです」と言っても違和感のない中禅寺に仕上がっています。いい。
関口くん
魍魎の匣って姑獲鳥の夏から続いてて、魍魎の中で頼子が読んでた小説の黒衣の男が女を押すシーンは姑獲鳥の結末とつながってるんですよね。
つまりは姑獲鳥と魍魎で関口君の危うさって一続きになっていて(まあ危ういといえばシリーズ通して常に危ういんですけど)、その不安定さ、がよく出ていたと思います。
それは役者さん自身が持つ雰囲気なのかもしれないですが、「ああ~、関口君」って感じ。
あと役者さんがとてもかわいい。あと4人の中で一番背が低いの、ニッチかもだけど私的には「んんんん合格!!!!!」って感じでした。
関口君が好きなのは、役者さんのされる演技がツボに入ったっていうのも大きかったかもしれない。
前述したとおり、今回テンションが3割増しで、関口君のリアクションとかも原作よりも少々強めだと思うんすね。けど入りと抜きのアップダウンが好きだったというか、真面目な時と少しギャグテイストの時の差に無理がないというか、とても好きな演技だなと思いました。
いやめっちゃイケメン。
正直、「木場修にしてはイケメンすぎではないか」「感情の振れ方が怒りよりも悲しみのほうが強くないか」「女に慣れている感じがする」とか思わんこともなかったんですが、でも「舞台上の木場修太郎」としてはしっかりと完成されていたな、と思う。
これは1回目は思わなかったことで、2回目に感じたことなんですが、今回舞台の木場修は「怒り」の表現に若干の「悲しみ」とか「あきらめ」とかがあったと思うんですね。怒鳴って怒るだけじゃなくて、それが涙声だったり、呆然としていたり。原作の木場修(私もしっかり読み返したのは最近ではないので、原作にとても近しいと思っている漫画版を参考にしていますが)は純粋に「怒り」が強い気がするんですね。
でもそれは、原作(外見の描写がない)や漫画版(屈強でごつごつ、ほかのキャラクターと比べても明らかに強そう)の風貌だから違和感がなかったのかな、と。今回木場修の役は内田朝陽さんという方がされていますが、この方、大きいしひげ生やしてるといかついし、屈強そうなんですが、周りの人物と比べたときに漫画版ほどの画面上の違いがない。で、実際に生身の役者さんが演じているために、とても人間らしい(あたりまえやけど)木場修になっているな、と。そういった内田朝陽さんが演じる木場修が、漫画版くらい「怒り」に偏っていても、これは違和感があるんじゃないかな、と。なので、(まあイケメンすぎて困るという点を除いて)舞台版の木場としてはほんとに完成されていたんじゃないかなと思いました。
あと最後の「悪党、御用じゃ」で大抵のことは全部許せます。
ほんとに良い。
榎さん
こんなこと書くと怒られそうですけど今回榎さんそんなにキャラ濃くないです。
なんとなく見ていて「このテンションは確かに榎さんの変な時な気がするけどなんか違う気がするけど正解な気もする……」と思ってて、んで漫画読み返したら増岡と話しているときの榎さんって逆に舞台よりも常識人だったんですわ。(これは私もちょっとびっくりしちゃったけど)
けど、私も含めて「榎さん=変な人」の図ってモデル化されてる気がして、それに沿ってキャラクターを見せていく、という選択がされたのかしらん……と改めて今考えています。まあ何度も言ってる舞台上の表現上、少々オーバーなほうが印象に残りやすく、そのあとに突飛な行動(研究所に乗り込んでいくとき)を違和感なくさせるためにはあの書かれ方がよかったのかな、と思いました。2時間強で収めるのってキャラクターの掘り下げや表現に近道をする必要があるんだろうな、と。
ちなみによく感想で見られる「榎さん股下5メートル」はガチです。(ガチ)
久保
お前がナンバーワンだ………
久保ってめっちゃ気持ち悪いキャラクターじゃないですか。言葉は悪いですけれど、ある日電車で見た箱の中に入った娘を見て自分も女の子殺してバラバラにして匣に詰めてって、控えめに言っても頭おかしいでしょ。
んで!その頭おかしいけど周りから見たら普通の人間でしれっと小説家なんてやっている久保竣公、ほんとに上手に表現されていたなって思います。ビジュアルについてはまあ、「普通じゃねえな」って感じですがそれはおいておこう。
個人的には最後のシーンが大好きなんですが、それ以外にも電車の中のシーンとか、あと今回、原稿にかいてある「書き直す時間はない」とかの部分を久保が声に出して読むとこがあるんですけどそこも最高で。で、喫茶店で榎さんと会うシーンあるやないですか。写真見て自分の見た匣の中の女の子が加菜子だって知るシーン。あの、直前までは「神経質ななんか厭味ったらしいいやな奴」だったのが写真見た瞬間に「あっちにいっちゃったひと」って感じになる落差がすごいよかったです。久保がいないとこの舞台成り立たんですが、ほんとによかった。お前がナンバーワンだ……。
鳥口君と敦子ちゃん
ごめんやけど鳥口守彦についてはなんか違う、という感想が抜けきれませんした!!!
けど役者さんが下手なわけではないし「うへえ」はまごうことなき「うへえ」だったので、それはほんとによかったです。
鳥ちゃんって、そりゃお調子ものですごく低俗な雑誌の記者をしている若者なんですが、あくまでも「昭和」の人なわけですよね。その「昭和」感がうまく感じられなかった、というか、ほかのキャラクターだってそりゃ平成令和よりになっていると思いますが(見てるときは感じなかったけど)、若者のテンションでそれが一層助長されてしまったのかな?と思います。
鳥ちゃんお調子者だけど京極堂のことはリスペクトしてるから、座敷では正座だと思うし……それは青木との差別化を図ったのか?とも思うので致し方ないかとも思います。
役者さんの表情の演技はとても細かかったと思います。二回目至近距離で見たけど細かく変化させてたと思う。あとただただ顔がいいスタイルがいい。
あっちゃんは出番が少なめだったのが悔やまれるくらいあっちゃん、って感じでした。礼儀正しくて、おてんばな感じ。後役者さんがめっちゃ可愛い。
雨宮
関口と久保の次に「大事だな」って人。この人めっちゃいい。
「見た目普通だけどいっちゃってる!」感がすごいし、それと一緒に「幸せそう」というのもよくわかる。「うらやましくなる」対象だわ……という感じ。
須崎を殺す前の彼の常識人な感じも、「彼岸にいってしまった」後との落差を感じられてとてもいいと思いました。
陽子さん
陽子さんは「かわいそう」というイメージが強く残る書かれ方だったかな、と。
原作では結構したたかで確かに「恐ろしいけど薄朦朧としたモノ」なんですね。「賢くはないけれど無欲なわけではない」とか。ほんとに父親を母親からとってやるというしたたかで恐ろしい女性なんですね。
その点、舞台ではそこらへんがカットされた結果、「悲しいかな父を愛してしまった女性」という感じになっていたかな、と。でもそれはあくまでセリフやシーンがカットされた結果の印象なので、改変ではないと思っています。
ってこんなにグダグダ書いたけど実際役者の紫吹淳がうますぎで全部持っていかれたのでオールオッケー!!もう立ってるだけで様になるし階段上がるときに美馬坂の手を取りとことか「んんんんタカラヅカパワー!!!」って感じ。マジでかっこいい。細い。折れそう。
カテコんときに木場修役の内田さんとちょっと微笑みあってたの最高でした。(見間違いでも構わん)
加菜子と頼子
加奈子がすげえかわいいの。しかもかわいいだけじゃなくて、確かに「どことなく大人びていて神聖な感じがする」加菜子だったんですわ。声も高くもなく低くもなく、ちょっと中性的?な感じで。すごくよかった。
頼子のエグさは時間とかの都合上でカットされ気味でしたね。
お巡りさんをバカそうと思って泣いてみる、とか。お金をくすねて喫茶店に行くとか。頼子の身勝手な部分はあまり掘り下げられてなくて、君枝に対しての発言はきついですが、その身勝手さが薄いのでやっぱりかわいそうな被害者、感が強いかも。(まあ加菜子を突き落としてるから加害者でもあるんだけど)けど、その頼子は頼子なりに、だんだん変わっていくようすとか、うちにある怖さが表現されていたと思います。
役者の女の子の声が低めだったのもすごく好きでした。あとかわいい。
青木文蔵
まず私がどんだけ青木が好きかって話。もともといいキャラだと思っていたのですが絡新婦の活躍、塗仏で見せた「戦争」に対する動揺、そして邪魅で郷嶋へ見せた挑発的な態度、とあげてったらキリがないんですけどもうほんと好きで。
こけしのストラップは買うはポケ森は「あおき」って名前で初めてしまい、夢に青木が出てきた日はうれしくて感極まって布団の上でお礼を言う始末なんですけど。
そんな私は舞台化で大きく「青木文蔵の解釈違いで暴れたらどうしよう」ということを危惧していました。
大きな痛手を負ってしまうくらいなら見ない、という選択肢もあるけれど、でも「青木文蔵」が、「三次元」で、「新しい表現の舞台として」、生まれ変わる、という瞬間に立ち会わない手はないのではないかと思ってしまって。見に行くことに決めて応募したわけです。
で、結果としてなんですが、
「青木文蔵に対して改めて向き合うことができた」
というのが大きな感想です。
まず、ちょっとキャラクターの書かれ方がフランクです。原作の「落ち着いてて鳥口と益田と比べると格段に大人」というイメージ(私だけならすいません)からはかけ離れてて、木場修に対しての態度とかすごい「かわいいわんこ系後輩刑事」って感じだったんですね。
このシーンですでに解釈警察が出動しかけたんですが、そのあとに真面目な話をしだすと途端に真面目な青木になって、
「あ、、、青木…??青木なのかい…?」ってすわハイジに久々に会ったペーターのばあちゃんみたいなことになってしまって。
座敷のシーンでちゃんと青木だけ正座していたのもほんとにラブ。
でもやっぱり、京極堂座敷での犯人の謎解きするシーンとか、久保の家のシーンとか、最後のつきもの落としのシーンとか、やっぱりちょっと動揺しすぎっていうか元気すぎッてか……という印象が強かったんですが……
冷静になってみると、青木って(悲しいかな)私と年齢もそんなに離れてないはずなんですよね。
そう考えると、犯人が分かって、あんなに異常な現場を見てしまったら、動揺するかな、って。私は青木を神格化しすぎていたんではないかな、って。
んで、木場修に対するフランクさ、わんこ後輩感は、木場修への信頼(というか尊敬)を短い尺で表そうとするならば不可欠なんだろうな、と。
今回の脚本、魍魎時点では書かれていないキャラクターの人間性にも少々触れられてた気がするんですよ。榎さんの破天荒な中にある「見えてしまうこと」のデメリット、もうっすらだけど示唆されてるかな?ってセリフもあって。
しかも漫画版読んでたらつきもの落としの時とか、青木だいぶ声荒げてたし。
正直なところ、鳥ちゃんと青木の動揺とか声の張り方が何となく同じに感じて、一辺倒だった気もしているので、そこらへんに緩急があれば、もっとよかったのかなと思いつつも、舞台上での青木文蔵、としては正解かもしれないかな、と。
(拗らせすぎて素直に正解って言えないのは許してほしい)
「青木文蔵」と「役を演じている役者さん」は別物なので、「今回青木が現界する際に受肉した際の役者さんが私の解釈とは一致しなかった」という割り切りをしてるとこもあります。
けど、青木文蔵という人物を改めて感じることができて、新しい視点で彼への見方を整理することができて、とてもよかったと思いました。青木も人間だもんね。そうだよね、って感じで。
なんか舞台終わってからより好きになってしまったよ。あと木場修が刺されたときの「木場さん!」は好きにならざるを得ない。愛してる。(ずっと好きだけど)
と、まだまだ書ききれないこともいっぱいいっぱいあってほんとに表現できないんですが、「舞台の魍魎の匣」としての完成度はほんまに高かったです。
これは私が学生のときにちょっと演劇をしていたから、舞台美術とか装置の使い方、表現にもフォーカスして見ていたことも大きいと思うんですが、
二回目に一緒に行ったエグザイルも魍魎も好きな奇特な友人も「よかった……」って言ってパンフ買ってたのでやっぱりいい舞台だったんだと思います。
とりあえず少しでも気になるな!って方はまだ間に合うんで!
ニコ生で21時から配信されるからみんな、見てくれよな!!!
あとTwitterで見るようなマナーの悪い方は見ませんでした。席の運はほんとによかったんだと思います。